ひと段落ついたらなんだか気が抜けてしまって、必要最低限のことだけして散歩したりSNSをみたりと、ゆるやかに過ごしていました。
ちなみに福島市内はもう散ってしまいましたが、山の方に行くとまだ桜が楽しめました。これは葉桜ですけどね。さて、ゆるやかに過ごしていたら、ふと書きたいことが浮かんできたのでシェアします。
これまでのわたしたちの世界は二極でなりなっていました。例えば良いか悪いか、正しいか誤りか、美しいか醜いか、等など。わたしたち人類は何千年もこの二極でジャッジするやり方を続けてきたので、このことに違和感すら持たない人もいるかもしれません。
ですが、この二極性こそが戦いを生んでいることに気付く時ではないかと思います。
この二極性は、激しく心揺さぶるような現実を創造します。これは人間ドラマとも言い換えることができ、ある意味、人生の醍醐味ともいえるかもしれせん。ですが、闘いや争いの元にもなっています。そのことにもっと意識を向ける時ではないかと。
ですからどんなに権威ある人でも、たくさんの人から支持されているように見える人であっても、この二極で何かをジャッジするような人からは(つまり戦いの周波数を感じる人からは)わたしはそっと離れることにしています。それがお互いのためであり、自分も人も尊重するということかと。
ちなみに、コロナやウクライナ情勢について、どのような意見を持っても自由ですが、戦いの波動を帯びた人をあぶりだす効果があるように感じていました。つまり期せずして振り分けがされていて、おそらく両者はどんどん接点が無くなっていくのだと思います。
みんな経験したいことを経験する権利がありますから、どちらを選ぶのも自由ですが、わたしは二極の戦い(心の葛藤ともいえるかと)はそろそろ飽きてきたので卒業しようと思っているところです。同じように飽きてきた方や、いわゆる悪を排除したら平和になるという考え方に疑問を感じている方は、三次元から五次元へのシフトのタイミングであり、つまりそれは進化のタイミングということなのでしょう。