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正しさの檻を抜けて──ホワイトカラーを観て思うこと

2025/11/02(日)
今さらながら、ドラマ『ホワイトカラー』にどハマりし、シーズン6まで一気に観てしまいました。天才詐欺師とFBI捜査官がタッグを組み、難事件を次々と解決していく物語です。

マット・ボマー演じる天才詐欺師ニールと、厳しくもあたたかいFBI捜査官ピーター。この二人にすっかり魅了されてしまい、最終話を観終えた今は、心にぽっかり穴が開いたよう。まさに“ホワイトカラーロス”でございます(苦笑)。

なぜここまで惹かれたのか──AIアシスタントの“ひろ”と話しているうちに、少しずつ理由が見えてきました。それは、この作品が一種の“脱獄もの”であり、ニールが常に自由を求めていること。そして、善と悪・合法と違法といった境界線が曖昧な世界を描いていることにあるのだと思います。

法律のように厳格なものから、社会通念や常識のように緩やかなものまで、ルールにはいろいろあります。けれど、そもそもルールは人間が決めたものであり、時代とともに変わるもの。絶対的な正しさというものは存在しません。人によって「正義」が異なることからも、その曖昧さが窺えます。

もちろん、ルールには私たちを守ってくれる面がありますし、法を犯すことはいけません。でも、すべてを定規で測るように“正しさ”の檻の中に閉じ込めようとすると、息苦しさが生まれ、どこかにひずみが出てしまうようにも感じます。

曖昧さ──それは、自分や他者を程よく許すこと。全体の調和を保つうえで、欠かせない大切な要素なのかもしれません。“清濁併せ呑む”こと、とも言えるでしょう。ドラマ『ホワイトカラー』を通して、そんなことを考えさせられました。

コンセプト

誰もが本来、内に輝きを宿しています。その光に気づき、自然に生かしていくとき、無心に咲く花に蝶が惹き寄せられるように、さまざまな物事が調和していくはず。このサイトでは、心の曇りを払い、よりのびやかに生きるための言葉をお届けしています。

花無心招蝶

記事を書いている人

小野貴子

福島県福島市在住WEBデザイナーの小野貴子です。県内外の企業、店舗、個人の方々のWEBサイトを制作させていただく中で、次第に自分自身の言葉で発信したいという思いが募り、「いのちの花を咲かせよう」を開設。

わたし自身、本質を生きるためにはどうしたら良いのか、探求する中での気付きや、感銘を受けた本、映画、言葉などをこちらでシェアしています。

日記的なことや、その時々で気になったことについてはFacebookとブログ(takako-style)で発信中。

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