薬にも毒にもなるということ
朝から、ひとつの気づきがありました。薬というのは、毒にも薬にもなるものだなと感じたのです。
たとえばピーナッツ。ある人にとっては栄養になりますが、アレルギーのある人にとっては命に関わる毒になります。つまり、「良い」とされるものも「悪い」とされるものも、受け取る人や状況によって意味が変わるということです。
それは食べ物に限らず、私たちの生き方や考え方にも当てはまります。たとえば「毎朝決まった時間に起きる」こと。健康的な習慣として語られる一方で、体調や働き方によっては、かえって負担になる人もいます。同じ行為でも、人によって“薬”にも“毒”にもなるのです。そう考えると、すべての「正しさ」は相対的なのだと、あらためて感じます。
正しさはひとつではない
世の中で何かを強く主張する人は目立ちます。その声が大きいほど、まるでそれが「唯一の正解」であるかのように感じることもあります。けれど、実際はそうではありません。その人にとっては正解でも、他の人にとっては違う。
だからこそ、どちらかを否定するのではなく、両方を見つめながらバランスをとることが大切だと思います。陰と陽、動と静。相反するものがあるからこそ、世界は呼吸し、いのちはめぐり続けます。一方を切り捨てれば、もう一方も形を失ってしまいます。
他人の正解を尊重するということ
私は「他人の正解を自分のものと取り違えない感性」が大切だと感じていますが、それに加え、他人の正解を尊重する姿勢も同じくらい大切だと考えています。自分と違う考え方や感じ方に出会ったとき、それを排除するのではなく、「そういう見方もあるのだな」と受けとめる。その柔らかさが、世界を穏やかにしていくのだと思います。優しさとは、同意ではなく「尊重」なのかもしれません。
社会全体のバランスをどう取るか
とはいえ、私たちは一人ひとりが別々の存在でありながら、同じ社会の中で共に生きています。だから、何かを決めなければならない場面もあります。そのときに大切なのは、「誰か一人の正解」を押し通すことではなく、多様な考えを集め、可視化し、全体の調和を探ることだと思います。
安野貴博さんやオードリー・タンさんが提唱しているように、AIを活用したデジタル民主主義の考え方は、その手がかりになり得ます。人間の偏りを補いながら、さまざまな意見を融合し、社会全体としての新しい価値観をつくっていく。一方的な「正しさ」ではなく、共に考えるプロセスそのものが新しい時代の知性なのだと思います。
見つめ直すきっかけに
こちらの記事(「いのちの花」サイト・ブログ)も、そうした新しい価値観の形成に少しでも役立ててもらえたら嬉しいです。私は自分の考えを押しつけたいわけではありません。ただ、自分の中で芽生えた気づきを言葉にして差し出すことで、誰かが自分自身の考えや生き方を見つめ直すきっかけになれば――そう思っています。
いのちの在り方は、ひとつではありません。さまざまな想いや価値が響き合いながら咲き、めぐり続けていくものです。そんな想いのひとつひとつが、また次の “気づき” につながっていけばと思います。

上記の花はトリカブト。花期は10月。鎮痛・強心などの作用を期待して漢方に用いられる一方、未処理のものは猛毒を持ちます。
□白い花の意味
小ぶりで光を柔らかく反射する繊細な花は、セラスチウム(Cerastium)ナデシコ科の小花をイメージしています。白は「純粋さ」「受容」「調和」の象徴。特定の主張や色に染まらず、すべてを受け入れる“余白”の色です。「他人の正解を尊重する」「正解はひとつじゃない」という思想を可視化しています。
□背景のグリーン
グリーンは「再生」「めぐり」「安らぎ」の色。自然界の循環を象徴し、穏やかさと安心感を与えます。ぼかしのある背景は、“どこにも焦点を固定しない=多様性の許容”という思想も表しています。