演出家の鴻上尚史さんのエッセイにマイノリティ感覚が人を成長させるというようなことがありました。イギリスに留学されていた時に言葉が不自由で、自分はマイノリティ(少数派)だと感じたのだそうで、それについての考察?です。
イギリスは階級社会だそうで、あきらかに下に見られるというか同情的な目で見られることに対する口惜しさと、同情心からであっても何かしら労わりの言葉を掛けられることへの嬉しさとが入り混じった複雑な心境について書かれていて、わかるなーと思いました。
わたしは海外で暮らした経験はありませんが、「自分はマイノリティだ」と感じることは、わりとあります。近年は、人との違いこそが価値などと言われることもありますが、それとはちょっと違うんですよね。もちろんその通りなんでしょうけど、そこまで気持ちが追い付かないというか。みんなと違う自分は、どこかおかしいんじゃないか、なおさなくてはいけないのではないか、何なら人として欠陥があるんじゃないか、みたいな気分になる感じ。
で、そういうマイノリティ感覚は人を成長させるし、マイノリティ感覚とマジョリティ感覚をバランスよく経験することが人間性を形成するうえで大切なのではと、鴻上さんはそのエッセイでまとめられていました。
おっしゃる通りという感じなんですが、欲を言えばマイノリティとかマジョリティとか意識しなくても「わたしはわたし」という風に、ありのままの自分でくつろいでいられるのが一番じゃないかと、わたしは思います。
それには、常識や固定観念は絶対的なものではないと知ること、それに当て嵌まらない自分はダメだと決めつけないこと、経験を積みながら自信を育むこと、そして様々な立場の人に(同情ではない)やさしい気持ちで接すること、そんなことが大切なのではないでしょうか。
いまは時代の大きな転換点なので、これからマイノリティと言われている人たちは、どんどん生きやすくなっていくだろうと思いますが、そのような在り方へシフトするためのお手伝いができればと、下記のようなことをやっています。惹かれ方は、どうぞご覧になってみてください。
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