夕方、母方の祖母のお通夜があります。102歳で大往生といっていい歳ですし、悲愴な感じはわたしはなくて、何より孫なので事務的なことは母や伯父にお任せという気楽な立場ですが。100年以上生き抜いてきたことに、お疲れさまという気持ちです。
それで、喪服はどうするかとか、告別式が明日(平日)なので、それぞれの旦那さんたちは出席できるか、とか妹たちと連絡をとりあっていました。
で、喪服ですよ。久しぶりに来たらパツパツで(涙)、直したり新しいのを探したりするのも面倒なので、そのまま着ることにしましたけど、こんな話を思い出しました。
わたしの好きな書家の篠田桃紅さんが、何かの本で、こんなことを仰っていたんです。着物を普段着にする理由についてなんですが、
洋服は、型というか枠が決まっていて、そこに自分の身体を合わせるという考え方、要は着るものの方が「主」で着る人が「従」、一方、着物は、どんな体形でも着物が合わせてくれる、つまり着る人が「主」で着物が「従」。だから着物が好き、概ねこんな感じの話です。
いいかえれば、「あたしの着るものなんだから、あたしに合わせなさいよ、なんであたしが合わせなくちゃいけないわけ?!」みたいな感じでしょうか。勝ち気で強気な(わたしはそんな印象があります)らしい発言だなと思いましたし、いいなーーと感じました。
残念ながら、今の時代、着物を普段着にすることは難しいですが、その生き方の姿勢みたいなものは大いに見習うところがあると思うんですよね。
あたりまえと思わずに、本当にそれが自分にとって必要か、しっくりくるか、判断した上で取り入れる、みたいな。パツパツの喪服から(苦笑)そんなことを考えました。
篠田桃紅さんの作品やエッセイはどれも好きですが、こちらはとりわけ好きな一冊です。ひとつお気に入りの散文をご紹介してみますね。
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生き方を生み出す(篠田桃紅)
一人一人、全く境遇が違う。
似たような境遇というのはあるでしょうけど、
一人一人、生まれも、育ちもぜんぶ違う。
だから生き方を参考にすることは
できるけど、そっくり真似することはできない。
自分で生き方を生み出さなければね。
※人生は一本の線より引用
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書と散文の組み合わせで、はじめて篠田さんの作品や本に触れる方にも、取っ付きやすいように感じます。わたしは折々に手に取って、励まされたり慰められたりしています。
先進的な生き方を貫いた先人の生きてきた証というか知恵というか、そういうものが詰まっている本ともいえるでしょうか。気になる方はぜひとも。
▶ 人生は一本の線/篠田桃紅